白いスーツに白い髭、黒縁の眼鏡。ケンタッキーフライドチキン(KFC)の店頭でいつも笑顔を見せている“ケンタッキー・カーネル”は、今や世界でもっとも認知度の高いマスコットのひとりと言えるでしょう。特に日本では、クリスマスシーズンになるとテレビCMに登場し、店頭では等身大の像まで設置される、まさに国民的な存在です。
しかし、この「ケンタッキー・カーネル」というキャラクターについて、実は実在の人物であることや、その背後にある波乱万丈の人生、さらには日本ならではの都市伝説まで、意外と詳しく知らない方も多いのではないでしょうか。
本記事では、ケンタッキー・カーネルの正体から、その成功までの道のり、そして日本人にとって特別な存在となった理由を深掘りして解説します。
実在した創業者、ハーランド・サンダース氏
ケンタッキー・カーネルのモデルは、KFCの創業者である「ハーランド・デビッド・サンダース」氏です。1890年にアメリカのインディアナ州で生まれたサンダース氏は、幼い頃に父親を亡くし、家計を支えるために幼い頃から働き始めました。農場での労働や鉄道工夫、保険外交員、船員、タイヤ販売員など、実にさまざまな職業を転々としながら人生を歩んでいます。
彼が本格的に食の世界へ足を踏み入れたのは、実は40歳を過ぎてからでした。当時経営していたガソリンスタンドに立ち寄る客のために、自宅で作っていたフライドチキンを提供し始めたのです。これが評判を呼び、スタンドの隣にレストランを併設するほどに成長します。
その料理の腕前と地域への貢献が認められたことがきっかけで、1935年、当時のケンタッキー州知事から「ケンタッキー・カーネル(名誉大佐)」の称号を授与されます。これが、現在の名前とイメージの由来です。
なぜ“ケンタッキー・カーネル”がマスコットになったのか
サンダース氏の人生は、決して順風満帆ではありませんでした。有名になった今でこそ成功者のイメージがありますが、彼のレストランは州の高速道路整備計画により、その前を通る車が激減。1960年代初頭には、経営に行き詰まり、レストランを手放さざるを得なくなってしまいました。
しかし、当時60代半ばのサンダース氏はここで引退しませんでした。彼は手中に残った「11種類のスパイスとハーブによるオリジナルレシピ」と「圧力釜による時短調理法」を武器に、フランチャイズ展開を自ら始めたのです。66歳という高齢で、全米中のレストランを訪問してはレシピを売り込みました。
数えきれないほどの断られ方を経験しましたが、徐々に契約する店が増えていきます。「顔」を出して自ら宣伝する手法もサンダース氏自身が提案したものであり、ここに「ケンタッキー・カーネル」というイメージキャラクターが確立されました。
その後、1964年に事業会社は売却されましたが、彼は引き続き「広報大使」として世界中を飛び回り、自身のトレードマークである白いスーツとヤギひげで、KFCの知名度を一気に世界的なものへと押し上げました。つまり、ケンタッキー・カーネルは単なるイラストではなく、創業者自身の姿そのものがブランドになったのです。
日本における独自の進化
KFCが日本に上陸したのは1970年。大阪万博への出店をきっかけに、全国的にチェーン展開が始まりました。日本の店舗では、他の国にはあまり見られない「店頭に等身大のカーネル像を設置する」というスタイルが定着し、これが後の日本独特のカーネル文化を生む土壌となります。
さらに、日本のプロ野球ファンにとって、このカーネル像は特別な存在です。阪神タイガースのファンの間で「カーネル像の頭を撫でると勝利が訪れる」というジンクスが生まれたことがきっかけで、優勝争いや日本シリーズの時期には、試合前に各店舗のカーネル像の頭を撫でる姿が多く見られるようになりました。シーズン中には、あまりのなでられすぎで像の頭の塗装がはげてしまう店舗もあるほどだと言います。
カーネル像を巡る“呪い”の真実
これほど人々に愛されるカーネル像ですが、その歴史には「呪い」という名の忘れられない都市伝説が存在します。それが1985年に起きた日本シリーズの事件です。
この年の日本シリーズは、阪神タイガースと阪急ブレーブスが対戦し、阪神が球団創設以来初の日本一に輝きました。その歓喜のあまり、道頓堀に集まった阪神ファンたちが、近くのKFC店舗前に設置されていたカーネル像を担ぎ出し、川に投げ込んでしまったのです。勝利への熱狂のあまり、カーネル像がバッターの構えに見えたことから「縁起物」として一緒に祝ったという説もあります。
ところが、これが「呪い」として語られるようになります。像を失くしてからというもの、阪神タイガースは長期間にわたって日本一から遠ざかり、その原因が「カーネルの呪い」だと言われ始めたのです。像が川底にある限り優勝はできないとされ、以後、「像が上がってくるまで勝てない」とファンの間で囁かれ続けました。
実際に、投げ込まれた像は長い間行方不明のままでした。しかし、捜索プロジェクトの結果、腕が1992年、胴体が2009年、頭部が2011年にそれぞれ発見され、ようやく全身が揃ったのです。それでも阪神の日本一は遠く、ファンの間では「胴体と頭は見つかったが、完全な状態ではなかった」などと様々な憶測が飛び交いました。
そして時は流れ、2023年。阪神タイガースは38年ぶりに日本一を達成しました。この瞬間、多くのメディアが「カーネルの呪いがついに解けた」と報じ、道頓堀には再び多くのファンが集まりました。もっとも、今回はカーネル像を川へ投げ込む人はさすがにおらず、マナーを守って歓喜を分かち合う姿が話題となりました。
カーネル像は今どこにあるのか
回収されたカーネル像は、関西圏のKFC店舗に再び展示されるのではなく、企業側が大切に保管していると言われています。時折、特別なイベントや記念企画などで公開されることがありますが、基本的には「呪いの像」としてではなく、KFC日本上陸50周年などの周年イベントで展示されることが多いようです。
また、今でも一部の店舗には当時をほうふつとさせるレトロなカーネル像が残されており、ファンの間ではその所在がSNSなどで話題になることもあります。像のデザインは時代とともに微妙に変化しており、初期のものは実物のサンダース氏にそっくりですが、最近のものは親しみやすさを重視したアニメ調に近づいているのが特徴です。
まとめ
いかがでしたか。ケンタッキー・カーネルは、単なるマスコットやロゴマークではありません。晩年に大成功を収めた一人の実業家であり、その姿は「何歳からでも挑戦はできる」という象徴でもあります。
そして、日本のカーネル像にまつわる「頭を撫でると勝てる」という風習や、「呪い」の都市伝説は、KFCというグローバルブランドが、いかに日本独自の文化と深く結びついて愛されてきたかを物語っています。
クリスマスのチキンを買うとき、店内のポスターを眺めるとき、あるいは野球中継を見ながらふとKFCを思い出したとき。白い髭のおじさんの背景に、これほど深い歴史とドラマが隠されていることを、少しだけ思い出してみてはいかがでしょうか。
ケンタッキー・カーネルはなぜ創業者?知られざる生涯と“呪い”の真実
Source: HotArticle
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