ニュースを眺めていて、ときどき引っかかることがある。アメリカ大統領の発言は世界の株価を動かす。フランス大統領は外交の舞台で国を代表する。ところが、ドイツ連邦大統領の名前をすらすら言える人は、日本ではそれほど多くない。インドでもイスラエルでも、日々の政治を動かしているのは首相だ。
それでも、この人たちは等しく「大統領」と呼ばれる。
同じ訳語が当てられているのに、その中身はまるで違う。この違和感を持たないままニュースを読んでいると、言葉に実際以上の重みを読み込んでしまうことがある。
幕末の翻訳者が選んだ言葉
「大統領」は、もともと日本語にあった言葉ではない。江戸幕府が外国と条約を結び始めた幕末、欧米の政治制度を紹介する翻訳のなかで生まれた訳語だとされる。英語の president に、それまで日本になかった役職の名前を当てなければならなかった。
訳語を選ぶ者にとって、避けたかったのは「王」に見えることだったのだろう。king なら「王」で構わない。だが、選挙で選ばれ、任期が定まり、憲法によって権限を区切られた共和国の元首に、王の字を当てるわけにはいかない。そこで「統領」——統べ率いる者——に「大」を冠した語が充てられた。
字の選び方は、漢字圏でも分かれた。中国語では「总统」、台湾では「總統」。一方、韓国語の「대통령」は、日本語と同じ「大統領」の字をそのまま使う。近代の東アジアが西欧の制度を取り込んだとき、訳語が行き来した痕跡がここに残っている。
大統領と首相は、何が違うのか
よく「大統領は国のトップ、首相はその補佐役」と説明されるが、これは正確ではない。両者の違いは権限の大きさではなく、その力がどこから来て、どうやって終わるのかにある。
アメリカ型の大統領制では、大統領は国家元首であると同時に行政の長でもある。国民が別々に選んだ議会と大統領が向かい合い、どちらも相手を簡単には従えられない。これが権力分立の建前だ。
議院内閣制は逆になる。行政の長は議会が選び、議会に対して責任を負う。多数派が崩れれば、不信任決議という形で比較的すみやかに交代する。国家元首は王であったり、権限の弱い大統領であったりして、行政の長とは別の人が務める。
この二つの中間もある。フランスやロシアのように、大統領を国民の直接選挙で選びながら、議会に責任を負う首相が政務を担う仕組みは、半大統領制と呼ばれる。どちらが強いかは、選挙の結果次第で入れ替わる。
ここで効いてくるのが、終わらせ方の違いだ。大統領は任期が固定されているので、議会の多数派と衝突しても簡単には退かない。だからこそ弾劾という重い手続きが用意されている。韓国では、大統領に対する弾劾の手続きが、この二十年のあいだに何度も現実の政治日程にのぼった。大統領という仕組みが、いかに簡単には止まらないかを物語っている。
「弱い大統領」という存在
すべての大統領が強いわけではない。
ドイツの連邦大統領は、国民の直接選挙では選ばれない。連邦議会の議員と各州の代表で構成される連邦会議が選出する。法律に署名し、国を代表し、政治が行き詰まったときに言葉を投げかける。だが、予算も外交も行政も、実際に動かすのは首相だ。インドの大統領も、イスラエルの大統領も、基本は同じ立場にある。
イタリアの大統領は、その中間に位置する。選ばれ方だけを見ればドイツに近いが、内閣がまとまらないときに新政権の成立を後押ししたり、議会を解散したりと、局面によっては実際に政治を動かす。同じ訳語の下に、儀礼的な存在から強い指導者までが並んでいるわけだ。
同じ役職に、別の訳語が当たるとき
逆のことも起きる。中国の国家元首は「大統領」ではなく「国家主席」と訳される。北朝鮮のそれは「国務委員長」だ。サウジアラビアやタイのように、元首が王である国もある。
訳語は制度を説明する道具であると同時に、その国が自分をどう位置づけているかを映す。共和国の元首を「大統領」と呼ぶかどうかは、案外、政治そのものの一部なのだ。
日本に大統領がいない理由
日本には大統領がいない。天皇は象徴であり、行政の長は内閣総理大臣である。外から見れば「首相」の国だ。
とはいえ、明治の憲法制定の過程で、アメリカ型の大統領制が選択肢として検討された時期はあったとされる。最終的に採用されたのはプロイセン型の立憲君主制だった。戦後の日本国憲法も、行政の長を議会が選ぶ議院内閣制を土台にしている。大統領が生まれる余地は、最初からなかった。
呼び名ではなく、制度を見る
「大統領」という語は役職の名前であって、権限の大きさを教えてはくれない。強い大統領もいれば、署名と式典が主な仕事の大統領もいる。同じニュース番組のなかで、この両方が同じ三文字で呼ばれている。
だから、大統領の名前を見かけたら一度立ち止まってみるといい。「この国では、その人は本当に強いのか」「実際に政務を仕切っているのは誰か」。その小さな習慣が、国際ニュースの読み方を少しだけ変えてくれる。