二世という立場は、外から見るほど単純ではない。入り口は確かに開かれている。だが、その入り口をくぐった先で、ずっと親の名前で説明され続ける。どれだけ仕事を積んでも、評価の前に肩書きが来る。本人が何を話しても「やはり英樹さんの娘だから」と回収されてしまう。この構造は、本人の努力だけでは動かせない。
高橋真麻は上智大学を卒業し、2004年にフジテレビへアナウンサーとして入社した。その後のキャリアを見るかぎり、少なくとも「名前だけで通った」わけではない。局のアナウンサーとして現場に出る仕事は、地味な準備と失敗の繰り返しだ。彼女がそこで何年も務めを続けたことは、肩書きとは別の話である。
2013年、安定を手放した
その立場を、彼女は2013年に手放している。フジテレビを退社し、フリーのアナウンサーとして活動を始めた。辞めた理由を外から推し量ることはできないし、するべきでもない。ただ、結果として仕事の幅は大きく変わった。
ワイドショーのコメンテーター、バラエティの進行役、ときには笑われる側にも回る。局に守られていた頃には、おそらく選ばなかった振る舞いだ。守られた環境を出るという決断は、二世というレッテルを「親の力で得た安全圏」として見られがちな人にとっては、少し厄介な意味を持つ。自分で立ち位置を選び直す行為だからだ。
笑われることを引き受ける
彼女の話し方には、特徴がある。自分の失敗や欠点を、自分から先に差し出すのだ。多くのタレントは、傷つかないために、いじられる前に自分で笑いを取りにいく。高橋真麻の場合、その手つきがどこか居直っていて、嫌味にならない。完璧な人間ではなく、うまくいかないこともある人間として画面に映る。
「親の七光り」という言葉は、二世タレントに向けられる最も手軽な批判だ。彼女はそれに正面から反論していないように見える。父の話を自分から出し、親子で共演し、ときには父のほうをいじる。逃げずに扱うことで、「高橋英樹の娘」という枠を、批判の材料ではなく自分の持ちネタに変えてきた。これは器用さというより、扱いにくい現実を長く抱えてきた人間の処世術に見える。
肩書きを消す方法は、否定することではない。自分の名前で仕事を続け、別の意味を積み重ねるしかない。彼女が選んだのは、その積み重ねを、笑われることを恐れずにやり切るという方法だった。派手さはない。だが、テレビという場所で長く生き残るための、かなり確かな技術である。