京浜東北線の車内で「浦和、浦和」と流れるアナウンスをくと、多くの人は改札を出ないまま通り過ていく。東京から北へ向かう途中、ただの通過点。そう思っている人は、きっと多い。でも一度西口の改札を抜けると、そこには意外なほど濃密な街が広がっている。
西口を出てすぐの商店街は、古い看板や地元の酒屋、老舗の和菓子店が並ぶ。高層ビルではなく、人の声と生活の気配が先行する。かつて中山道の宿場町だった名残が、今も方角のどこかに残っている。それが浦和の底の部分だ。
同じく東口側には商業施設が立ち並び、駅前の顔は近年大きく変わった。だがそこに住む人にとって、街の中心は常に商店街や駅前の交差点、週末のサッカー場のようなものだ。特にホームゲームの日、駅のロータリーは赤いユニフォームに包まれ、街全体がひとつの大きな呼吸をしている。埼玉スタジアムは行政上は浦和区ではないが、浦和レッズという名が街の誇りになっているのは間違いない。それは、地名ではなく、共有された感情で街を支えている証拠だ。
浦和が「ベッドタウン」と呼ばれるようになったのは戦後の高度成長期以降だ。東京へ通う人たちの寝室のような存在。だがそれだけでは語れない。地元の高校や大学、中小企業、商店街、サッカー文化が長い時間をかけて蓄積してきた独自の空気がある。東京の延長線上ではない、独立した都市としての呼吸がある。
地図を広げれば、浦和は首都圏の一部に過ぎない。しかし実際に歩いてみると、そこには人々が長年かけて作り上げた「ここらしさ」がちゃんとある。それは大きな観光名所ではなく、商店街の一画、駅前の喫茶店、試合後の駅前の喧騒の中にある。浦和を知るということは、そうした地味ながら確かな輪郭を見つけることなのだ。
浦和に降りて、地図にない輪郭を触れる
Source: HotArticle
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