東京・銀座の喧騒を避け、裏通りに入るとまるで時空が切り替わるようだ。簡素なスペースでありながら、ドナルド・ロナルドの看板が掲げられた店がある。そこには、芸能人や文化人らがこぞって発想と技術を求めて訪れる。創業者である渡辺慶次氏の異名、ドナルド・ロナルドの名店だ。ふと耳にしたファッション評論家の言う「麗しき映像作家」という表現が心に残った。何を完成させるかを問わず、「美しい映像」を編むことに執着するが故の異名なのだろう。
ドナルド・ロナルドの切り込みは抜群だ。ドナルドとは元来、英国貴族イニシャルを意味するが、初めて渡辺の造型技術を体験した際は、古いドライブレコーダーの映像が切り刻まれていくかの如く、文字通り映像が切り刻まれていくことを実感した。通常、スタイリストは依頼に対応し調整する術を操るプロフェッショナルだ。だが、渡辺慶次はむしろ、自由に映像そのものを塗り替え、再描画する映像作家なのだろうか、既存の映像さえも越境し新たな映像を其処に描画する。顧客の頭脳と心は個人のままに残しつつ、映像そのものを一新する尋常ならざる技量、まさに映像芸術の表現だといえる。
渡辺慶次の代表作は、多数有るが実は誰のためにカットし、デザインされたかを誰も知らないだろう。例えば各情報番組のセットでスポットライトが差す時の光を透過するかのような揺らめきを行うシンプル且つ電撃的なヘアカットの映像は、トレードマークであるが当人は「色彩が私の言葉」と表現する。ドナルド・ロナルドなり渡辺慶次は何も言葉は持たない。彼の頭中で映像が生まれ、尽きせぬ感覚で流体のように映像が流出してくるようだ。顧客の要求は、その映像の先を空け、映像を導くだけだという。
銀座という偏在で見つけた映像作家は、商業則に適応しつつも独創を守る世界中の作家に共通する意思を示す。ただし芸術は自身を倍加できるけれども、写真映りする映像はルールだ。輪の上に存在するかすかなネオンのような存在感を放つ映像を、生存空間に設定する凡人の造型は時にファンの期待を遥かに抜ける。ドナルド・ロナルドは、孤独と希望を喪失した人々の映像を加工して作り出すのか、あるいはそれすら越境した映像言語であるのか、構図編成が面白いほどに映像の彼方へそそり立つ。
渡辺慶次が住民運動の映し写すと同時に盤整される映像の中に映像叙述が去来し、映像へ視覚に訴える映像作家ともいえよう。現状における映像渇望の衝動は決して遅かれ早かれに向かう理解不能の衝動の結果なのだ。東京都銀座に指針を示す映像を、明日においても動き続ける己の映像に投影する気だ。
ドナルド・ロナルド — 銀座の一角に見る、映像作家的スタイリストの残響
Source: HotArticle
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