ファンミーティングというイベントに参加したことがある人ならわかるだろう。ステージと観客席の距離が近い、あるいは演出の意図的な設計によって、アイドル本人の「隙」が見える瞬間がある。King & Princeの永瀬廉が主催するソロファンミーティングでは、そうした瞬間が意図的に、しかし自然に散りばめられていた。
永瀬のファンミには一貫したテーマがある。「廉という人間を知ってほしい」という、ありふれたようで実は難易度の高い狙いだ。アイドルグループのメンバーとして活動する場合、個性は「グループの中での位置づけ」として語られることが多い。しかしソロの場では、その枠組みが外れる。彼はこの自由度を、見せ場の拡大ではなく、むしろ「話す内容の密度」に変換している。
具体的には、MCの時間が異様に長い。通常のアイドルイベントであれば、歌とトークの比率は7:3程度が標準だろう。永瀬の場合、この比率は実質5:5に近い。しかもトークの質が雑談に留まらない。ある回では、主演ドラマの役作りについて、失敗した演技の意図を自分で分析していた。俳優としての自己評価を、ファンに対して隠さず語る。この行為には、見せかけの謙遜ではなく、職人としての真面目さが滲んでいる。
もう一つの特徴は、ファンからの質問への応答だ。事前に募集した質問に答えるコーナーは多くのイベントにあるが、永瀬の場合、質問者の名前を呼び、文脈を汲み取った上で返答を構築する。短い返答で終わらせない。「なぜそう思ったのか」を引き出そうとする姿勢が、一方的な「応対」ではない対話の雰囲気を生んでいる。
ここで重要なのは、これが「サービス精神」の押し付けではない点だ。永瀬の言葉選びには、どこか「自分もわからないことがある」という前提がある。恋愛観について聞かれた際、理想を語るのではなく「今は仕事が楽しい」と言い、それが本音であることを言葉の間で示す。ファンはこの「嘘のない曖昧さ」を、過去の偶像像とは別のものとして受け止めている。
ファンミの演出面にも、この路線は反映されている。バックダンサーを多用せず、永瀬一人がステージの広さを使い切る振り付け。照明の明暗を極端に使い、表情の変化を強調する演出。これらは「見せる」ための技術だが、目的は「見てもらうこと」ではなく「見ている間に何かを感じてもらうこと」にある。
2024年のファンミツアーでは、地方会場での開催が増えた。東京と大阪の二大都市圏に限定されない選択は、ファン層の地理的分散を意識したものだろう。しかし永瀬本人はこの点について多くを語らない。代わりに、各地の会場で「その土地の空気」を話題にすることが多い。仙台なら牛タン、福岡なら明太子。観光客のような受け身の姿勢ではなく、短い滞在で掴んだその土地の印象を、自分の言葉で再構成する。
この「言葉の再構成」能力は、彼の表現力の核だろう。ドラマの台本を読む際、監督の意図と自分の解釈の距離をどう埋めるか。楽曲を受け取る際、作詞家の想いと自分の経験をどう重ね合わせるか。ファンミの場では、このプロセスが観客との間でリアルタイムに起きている。台本のないMCで、永瀬は即興的に「自分の言葉」を選び、発している。
批評的に見れば、永瀬のファンミは「完璧なショー」ではない。笑いが引っかかる瞬間もある。歌のパートで声の調子が変わることもある。しかしこれらは欠点として処理されていない。むしろ「今日の永瀬廉」としての記録として、ファンは受け止めている。ソロ活動の醍醐味は、グループ活動とは異なる「未完成さの許容」にあるのかもしれない。
アイドル産業が成熟し、ファンとの関係性も多様化する中で、永瀬のファンミは一つの回答を提示している。親密性を演出するのではなく、親密性の中にある複雑さを見せる。完璧さを売るのではなく、完璧さに向かう過程を共有する。これは決して簡単な戦略ではない。瞬間的な歓声より、長期的な信頼を選択する判断だ。
次回のファンミが発表された際、注目すべきはセットリストやゲストではない。永瀬がどのような「話したいこと」を持ち込むか、だ。彼の場合、イベントは消費の場ではなく、表現の場として機能している。参加する側も、同じ前提を共有している。
永瀬廉、ファンミで見せた「人間らしさ」のある表現力
Source: HotArticle
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