東海道新幹線は袋井市を通る。だが、止まらない。
東京から西へ向かう車窓から、あるいは東名高速を走りながら、案内標識に「袋井」の文字を見ても、多くの人はただ通過していく。静岡県の西部、遠州地方に位置するこの街は、県外の人にとっては「浜松と掛川のあいだにある何か」という程度の輪郭で記憶されがちだ。
それでも、一度改札を出て歩いてみると、袋井が通過点で終わらない街だと分かる。宿場町として積み上げられた時間、遠州三山と呼ばれる三つの寺、温室メロンの産地としての顔、夏の夜空を埋める花火。どれも大声で主張してくるわけではないが、重ねて見ると、この街なりの厚みが浮かび上がってくる。
五十三次の、ちょうど真ん中
袋井宿は、東海道五十三次の27番目の宿場にあたる。日本橋から数えても、三条大橋から数えても27番目。つまり東海道のちょうど真ん中だ。開宿は慶長6年(1601年)とされる。
真ん中という立場は、地味である。起点でも終点でもない。けれど旅人にとっては「江戸からも京からも半分」という大きな区切りであり、宿場には本陣や旅籠が並び、人と物が行き交った。旧東海道の沿道には、いまもその面影を探すことができる。
現在の袋井市は、2005年に旧袋井市と浅羽町が合併して生まれた。南は遠州灘に面し、北には小笠山の丘陵が広がる。人口は8万人台。東名高速のインターチェンジとJR東海道線の駅を持ち、静岡理工科大学もある。人の流れを受け止める構造は、宿場町だった頃からそれほど変わっていない。
三つの寺が、街の背骨をつくる
袋井を訪ねるなら、まず遠州三山を歩きたい。法多山尊永寺、油山寺、可睡斎。いずれも市内にあり、性格がはっきり違う。
法多山は厄除けの寺として親しまれ、参道では名物の厄除け団子が売られている。春は桜の名所として、県内外から人が集まる。油山寺は「目の仏様」として信仰を集めてきた寺で、境内には滝があり、秋の紅葉でも知られる。可睡斎はだるまの寺として知られ、春には多くの雛人形を並べるひなまつりが開かれる。
同じ「遠州三山」とひと括りにされながら、祈りの対象も、季節の見せ場もまるで違う。三つを続けて訪ねると、この土地に積もった信仰の層が、なんとなく体で分かってくる。夏には三山を風鈴で巡る催しも開かれる。静かな境内に風鈴の音が重なる取り合わせは、いかにも袋井らしい。
メロンが育つ、という事実
袋井を語るうえで外せないのが、温室メロンだ。静岡県は温室メロンの産地として知られ、袋井はそれを支える産地のひとつにあたる。
メロンは、気候さえ良ければどこでも育つ作物ではない。ハウスの中で温度と湿度を細かく管理し、実の数を絞りながら手間をかけて育てる。遠州灘から届く日照と、この地域の温暖な気候が、その手間を成立させてきた。道の駅や直売所に並ぶ季節のメロンは、いわば袋井の土地の性格がそのまま形になったものだ。
茶も、この地域を代表する作物である。静岡のお茶というと山間のイメージが強いが、遠州の平野部でも茶は栽培されている。メロンと茶。派手さは違えど、どちらも手のかかる農業だという点では共通している。
スタジアムと花火が、人を呼び戻す
袋井には、全国から人が集まる装置もある。小笠山総合運動公園のエコパスタジアムは、2002年のワールドカップの会場になった。厳密には袋井市と掛川市にまたがるが、最寄り駅の愛野駅は袋井市にある。ふだんは静かな住宅地の駅が、試合やイベントの日には人の波で埋まる。
夏になれば、原野谷川の河川敷を会場に花火大会が開かれる。静岡県内でも指折りの規模で、市の内外から大勢の見物客が訪れる。宿場町として人を迎え入れてきた土地が、いまはスタジアムと花火で同じことをしている。やっていることは、400年前とそう変わらない。
通り過ぎるには、少し惜しい
通過点という言葉は、ときに少し冷たい。だが袋井は、その立場をむしろ使いこなしてきた街だ。東海道の真ん中という位置は、昔も今も、いろいろな人を引き寄せる。降りてみれば寺があり、メロンがあり、花火がある。
新幹線はこれからも袋井を止まらずに通り過ぎるだろう。それでも、在来線の改札を出て十分も歩けば、この街が通過されるだけの場所ではないと分かる。目的地にするには少し遠い。だが、途中で降りるには、ちょうどいい。