メダルまであと一歩。この言い方は、敗者の物語のように響く。だが、団体で4位に入るというのは、出場した全員が大きな崩れを起こさなかったという意味でもある。誰か一人が失敗すれば、順位はすぐに落ちる。あの夏の日本女子は、世界の上位と渡り合える土台をようやく整えたところだった。
リオのあとも、杉原は現役を続けた。国内の主要大会に出場し、代表争いのなかに身を置き続けた。10代で五輪に出た選手が、そのまま次の周期まで走り続けるのは簡単ではない。体つきは変わる。故障も増える。進学や就職という現実も、競技の続け方に影響する。日本女子体操の代表枠は限られていて、全日本選手権やNHK杯で結果を出さなければ、世界の舞台には立てない。
同じリオのチームで戦った村上茉愛は、その後の東京五輪でゆかの銅メダルを獲得した。長く第一線に立ち続けた選手が、最後につかんだ一つのメダルだった。その裏側には、代表の座を争いながら競技を続けた選手たちの時間がある。杉原もその一人だった。
名前が思い出される理由
杉原愛子の名前が話題にのぼるとき、そこに派手な実績はない。あるのは「あと一歩」の記憶だ。それは彼女の力が足りなかったという話ではない。日本女子体操が、世界の上位に手を伸ばしながら届かない位置に長くとどまっていたことを、そのまま映している。
順位表に残るのは数字だけだ。だが、4位という夏を挟んだからこそ、その後の世代は前へ進めた。メダリストの名前は長く語られる。その一歩手前にいた選手の名前は、ふと振り返ったときに思い出される。杉原愛子は、日本女子体操が動き出す途中にいた選手である。