テレビをつけると、どこもかしこも「盛り上げよう」としている。司会者は声を張り、ゲストはリアクションを誇張し、画面の隅ではテロップが感情を先回りして代弁する。そんな中にあって、あえて力を抜くことを選んだ番組がある。深夜の枠で静かに始まるそれは、一見すると「何も起きていない」ように見える。しかし、その「何も起きていない」感覚こそが、多くの視聴者を画面の前に留まらせている。
『脱力タイムズ』が描くのは、ニュースでも伝統的なバラエティでもない、その中間のような空間だ。バカリズムが淡々と進行し、ゲストは決められた台本に沿って「ずれた」受け答えを繰り返す。笑いのトリガーは絶叫や展開の速さではなく、間(ま)の取り方と、あえて外したテンポにある。一見すると即興のように見えるやり取りも、実際は綿密に計算された構成の上に成り立っている。力を抜いているように見せて、その実、極めて精密な職人技が支えているのだ。
なぜこのトーンが今、支持されるのか。背景には、メディアに触れる側の慢性的な疲労感がある。SNSでは常に「面白い自分」「充実した自分」が求められ、テレビでも動画プラットフォームでも、視聴者の注意を引くために音量と速度が競い合う。そんな環境に長くさらされれば、神経は自然とすり減る。そこで求められるのは、さらに強い刺激ではなく、むしろ「頑張らなくていい空間」だ。番組が提供する脱力感は、単なる逃避ではなく、一種の呼吸調整のような役割を果たしている。
脱力系と聞くと、手を抜いていると誤解されがちだが、実際は逆だ。間を恐れない進行、あえて盛り上がりを拒否する展開、ゲストの「素」に近い反応を引き出す演出――これらはすべて、強い意志と編集センスがあって初めて成立する。笑いを作る側が「笑わせよう」と力めば力むほど、視聴者は無意識に構えてしまう。『脱力タイムズ』が長く支持されている理由は、その構えを先に外してしまう点にある。番組側が先に肩の力を落とすから、視聴者も安心して力を抜ける。
深夜枠という制約も、むしろ味方になっている。プライムタイムのように幅広い層にアピールする必要がなく、特定の周波数に合う人だけが残ればいい。その潔さが、結果として熱心な視聴者層を育てた。メディアが多様化する中で、「全員に届くコンテンツ」を作るのはますます難しくなっている。むしろ「誰か一人に深く刺さる」ことを選んだ番組が、結果として長く生き残る傾向が強まっているのだ。
笑いに力は必要ない。むしろ、力みこそが笑いを遠ざけることがある。『脱力タイムズ』が示しているのは、エンターテインメントの新しい正解ではなく、昔からあったはずの「等身大の居心地の良さ」を、現代の文脈で再発見したということだ。画面の向こうで誰かが頑張っていないとき、私たちはようやく、自分も頑張らなくていいと許可を出せるのかもしれない。
力まない」ことの強さ――なぜ今、脱力系の笑いが響くのか
Source: HotArticle
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