1990年代初頭、日本の街から「一億総中流」という言葉が少しずつ消え始めた。それまで信じられていた「土地の値段は絶対に下がらない」という絶対的な命題が、音を立てて崩れ去ったとき、人々が失ったのは資産だけではない。それは、明日は今日よりも豊かになるという、社会全体を包み込んでいた無垢な確信だった。
1980年代後半、日本の経済は熱狂の渦中にあった。東京の山の手エリアの土地を売ればアメリカ全土が買えるという、今となっては現実味を帯びない比喩が、当時の空気感を如実に表していた。銀行は担保価値が上がり続ける不動産を歓迎し、企業は本業の収益以上に金融投資で利益を上げる「財テク」に邁進した。この時期、異常な高騰は「ニューエコノミー」や「日本型資本主義の勝利」といった美しい言葉で正当化され、人々は疑うことを忘れていた。危険なのは、市場が過熱していること自体ではない。誰もが「今回は違う」と信じ込んでしまう認知の歪みこそが、破滅の種を蒔くのだ。
転機は、あまりにもあっけなく訪れた。大蔵省(当時)による不動産関連融資の総量規制が引き金となり、過剰なマネーが市場から引き揚げられると、資産価格は雪崩を打って下落し始めた。株券は紙くずになり、担保として当てにしていた土地は銀行の返済を逼迫させる重荷へと変わった。しかし、真の痛みは数字上の損失よりも、社会の構造変化として現れた。終身雇用や年功序列といった日本型経営の前提が揺らぎ、企業はリストラクションを余儀なくされる。バブルの崩壊は、単なる景気循環の谷底ではなく、一つの時代の終わりとして、人々の日常に深く切り込んでいった。
その後の日本は、「失われた30年」と呼ばれる長い低迷期へと突入する。しかし、この言葉が指し示すものは、単なる経済成長の停滞ではない。バブル崩壊が日本人の精神に刻んだトラウマこそが、その本質である。過度なリスクを避け、現金を溜め込み、消費よりも貯蓄を優先するようになった。それは、熱狂の反動として生まれた、ある種の防衛本能だったのかもしれない。安価で高品質なサービスが溢れ、物価がほとんど上がらない社会は、消費者にとっては快適だが、経済全体から見れば活力が失われた状態とも言える。私たちは豊かさの定義を、「拡大」から「維持」、あるいは「縮小の中の快適さ」へと静かにシフトさせたのだ。
時を経て、世界の経済史を振り返れば、バブルと崩壊の繰り返しは人類の常である。2000年のドットコムバブル、2008年のリーマンショック、そして近年の暗号資産や特定のテクノロジーセクターにおける熱狂。形は変われど、その根底にあるのは「終わりのない成長」という人類共通の幻想だ。日本のバブル崩壊が世界中の経済学者や政策立案者に研究され続けている理由は、それが単なる過去の失敗事例ではなく、人間の群集心理と市場の脆さを最も鮮明に切り取った標本だからである。
幻の繁栄が終わりを告げたとき、残されたのは厳しく、時に冷たく感じられる現実だった。しかし、その現実の中にこそ、持続可能な社会を築くためのヒントが隠されている。魔法のような上昇志向から覚め、等身大の経済と向き合うこと。それは決して悲観的な後退ではなく、成熟した社会が辿るべき、静かなる目覚めなのかもしれない。熱狂が去ったあとに私たちが何を築くかが、次の時代を形作る真正的な力になるだろう。
熱狂のあとに残る静かなる現実
Source: HotArticle
Original link: https://www.hotarticle24.com/2vvojwxw