奥原希望(おくはら のぞみ)は、長野県出身の日本女子バドミントン選手である。1995年3月13日生まれ。身長は155センチメートルと、世界のトップアスリートの中では決して恵まれた体格とは言えないが、その体の限界を超越するようなフットワークと精神力で、オリンピックや世界選手権のメダルを複数獲得してきた。日本のバドミントン史において、女子シングルスで世界トップレベルの存在感を示した最初の選手の一人として、広く知られている。
彼女がバドミントンを始めたのは小学校低学年の頃である。長野県は山岳地帯が多く、室内スポーツとしてバドミントンが盛んな地域であり、地元のジュニアクラブで基礎を磨いた。当初から運動神経の良さとシャトルへの反応の速さが目立ち、小学生のうちから県大会で好成績を収めた。中学校に進むと、全国レベルの大会に出場するようになり、中学生チャンピオンとなるなどして頭角を現す。高校時代には、より高度な戦術と体力強化のトレーニングに取り組み、急成長を遂げた。
2012年、当時高校生だった奥原は、全日本総合バドミントン選手権大会の女子シングルスで優勝を果たした。この大会は日本国内で最も権威のある大会であり、シニアのトップ選手が集う中で、若年での戴冠は大きな注目を集めた。その後も国内大会で安定した成績を残し、日本代表の一員として国際大会へと羽ばたいていく。全日本級のタイトルを複数回重ねたことで、シングルスエースの座を確固たるものにした。
国際舞台での本格的な活動は、2010年代中盤からである。2014年にはアジア大会やグランプリシリーズに出場し、国際経験を積んだ。2015年ごろからは世界ランキングも上位に食い込み始め、強豪国の選手たちと互角に渡り合う姿が見られるようになった。そして2016年、リオデジャネイロオリンピックが初めてのオリンピックの舞台となった。
リオデジャネイロオリンピックの女子シングルスにおいて、奥原はグループステージから勝ち上がり、決勝トーナメントでも強敵を次々と破って準決勝へ進出した。準決勝では当時世界ランキング1位のカロリナ・マリン(スペイン)と対戦し、力の差を見せつけられる形で敗れたものの、3位決定戦では中国の李雪芮を破って銅メダルを獲得した。このメダルは、日本の女子シングルスとして長年にわたり待たれていたオリンピックでの勲章であった。
2017年、スコットランドのグラスゴーで開催された世界選手権は、奥原にとってキャリア最大のハイライトとなった。女子シングルス決勝の相手は、インドのプサルラ・ヴェンカタ・シンドゥ。両者は高さとパワーで勝負するシンドゥに対し、奥原は機動力と粘りで対抗するという対照的な戦い方だった。試合は21-19、20-22、22-20という、誰もが息をのむ三ゲームの激闘となった。ファイナルゲームの終盤、奥原は疲れを見せずに相手のスマッシュを次々とレシーブし、最後はネット前の繊細なプッシュで決めた。この優勝により、日本女子として1977年の湯木博惠以来となる世界選手権制覇を成し遂げ、40年ぶりの快挙として日本中を沸かせた。
その勢いは2018年も続いた。イングランドで行われた全英オープンは、バドミントンの歴史の中で最も伝統と格式ある大会の一つである。奥原は決勝で再び李雪芮と顔を合わせ、21-19、21-16で勝利してタイトルを手にした。この結果で世界ランキングも1位に迫り、女子シングルスの女王としての地位を固めた。同年のアジア大会やその他のワールドツアー大会でもメダルを獲得し、年間を通じて高いパフォーマンスを維持した。
2019年の世界選手権では、前回準優勝のシンドゥと決勝で再戦する形となった。今度はシンドゥがパワーとコース打ち分けで優位に立ち、奥原はストレートゲームで敗れて準優勝に終わった。それでも、2年連続で世界選手権の決勝に進む力は、彼女が世界トップ層にいることを証明していた。
2020年は、新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックが1年延期となる異例の状況となった。ホスト国のエースとして期待された奥原は、練習環境の変化や無観客試合の可能性など、多くの選手が経験したことのない状況下で準備を続けた。2021年夏、東京オリンピックが開幕すると、女子シングルスで日本代表の中心としてコートに立った。予選を突破し、準々決勝、準決勝と勝ち上がり、準決勝で中国の陳雨菲に敗れた。しかし3位決定戦では、再びシンドゥと対戦。今回は21-18、21-12と奥原がゲームを支配し、銅メダルを獲得した。これにより、オリンピック連続メダルを達成している。
奥原のプレースタイルを特徴づけるのは、なによりも「粘り」である。身長が低いため、高いクリアやスマッシュの返球には普通なら届かないような位置へも、素早いサイドステップと低い姿勢で対応する。バックハンドのレシーブや、ネット際でのタッチショットも非常に柔らかく、相手のタイミングを狂わせる。クリア、ドロップショット、スマッシュの使い分けは無駄がなく、長いラリーになってもミスが少なく、相手が疲れてくるのを待つ戦術を得意とする。こうしたスタイルは、体格で劣っても技術とスタミナで勝てるという、バドミントン独特の魅力を伝えている。
日本のバドミントン界への貢献も計り知れない。かつて女子シングルスは、中国やデンマーク、インドネシアなどの選手が優勢な種目と見なされていた。1970年代に湯木博惠が活躍して以降、長らく世界王座から遠ざかっていたが、奥原が頂点に立ったことで、アジア以外の国や小柄な選手でも頂点に立てるモデルケースが示された。日本国内ではジュニア層の女子選手が急増し、シングルス専門の指導環境も改善されてきた。また、彼女の試合を見てバドミントンを始める人も多く、競技の裾野を広げる役割も果たしている。
私生活や人柄についても、奥原はファンから親しまれている。試合後には相手選手に礼を欠かさず、笑顔でインタビューに応じる姿が印象的である。長野県の出身であることから、地元のスポーツ振興イベントに参加することもある。けがや不調と向き合う時期があっても、リハビリを丁寧に行い、コートに戻るための努力を惜しまない姿勢は、多くの若手選手の手本となっている。
バドミントンのシングルスは、1対1の勝負であり、自己管理と戦術思考が求められる。奥原希望のこれまでの歩みは、そうした競技の厳しさとやりがいを体現している。これから先、彼女が現役としてどのような新たな挑戦を続けるのか。世界のコートで見せる小さな巨人のプレーから、目が離せない。
奥原希望:小さな体で世界を相手に戦い続けた日本バドミントン女子シングルスのパイオニア
Source: HotArticle
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