テレビのバラエティ番組で見る鈴木亮平は、声が大きくて、笑うと頬がゆるみ、どこか近所の兄さんのような気安さがある。だが、彼が画面の向こうで俳優として立つとき、その空気は驚くほど静かに、そして重たくなる。同じ人間が演じるとは思えないような変貌を見せる彼の姿を追っていると、いつしか「この人はどうやってあんなにも別の人間になれるのか」という問いよりも、「彼は役というものをどれほど真剣に見つめているのか」という感想が浮かんでくる。
かつて彼は「肉体派」の俳優として語られることが多かった。確かに、がっしりとした体躯は目を引く。だが、本当に彼を支持する観客の多くが惹かれているのは、筋肉の量ではなく、役が持つ「重心」を誠実に探ろうとする姿勢だ。2018年の大河ドラマで演じた西郷隆盛を思い出してほしい。あの役は単なる偉人ではなく、少し抜けていて、優しく、そして時代に翻弄される一人の男だった。鈴木亮平は、見た目の重厚さを残しつつ、内面にひたむきな柔らかさを宿らせた。視聴者は彼の体つきに圧倒されつつも、ふと見せる戸惑いや笑みに、自分たちの隣にいる人間を重ねたはずだ。
彼のキャリアには、一見すると相反するような役どころが並ぶ。巨大な体と純粋な心を持つ漫画の主人公を演じれば、今度は社会の暗部に切り込む物語で野心に燃える男を演じる。どちらも極端な設定に見えるが、彼が演じると妙な説得力を持つ。それは、彼が役を「演じる」のではなく、役の論理に自分の身体を預けているように見えるからだ。芝居が上手いとか下手だとかいう次元の前に、彼が画面の中で「そこに在る」という事実そのものが、物語への入り口を開いてくれる。
現場で鈴木亮平を必要とする理由は明らかだ。それは、彼がカメラが回っている間、決して観客をだまそうとしないからだ。過剰なアピールはない。あるのは、与えられた状況に身を置き、相手役の呼吸を読み、自分の感情をそっと差し出すという、地味で繊細な仕事の連続である。
我々がエンターテインメントに求めるものは、ときに日常からの逃避であり、ときに刺激だ。しかし鈴木亮平が見せてくれるのは、どちらかといえば「人間が人間を信じるための手がかり」に近い。彼が次にどんな体つきで、どんな目つきで画面に現れるのか。それを考えるだけで、ふと日常の疲れが和らぐような気がするのは、おそらく彼が「信頼できる俳優」という、現代では意外と希少な地点に立っているからだろう。
豪快な笑顔の裏で、鈴木亮平はいつも役の重心を探している
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