2024年11月、雨に濡れたインテルラゴス。アルピーヌの2台が続けてチェッカーを受けた。2位がエステバン・オコン、3位がピエール・ガスリー。チームにとって、その年でもっとも輝かしい午後だった。
その5か月前、チームはオコンに、今季限りでシートを離れることを伝えていた。つまりこの日、翌年いなくなることが決まっていたドライバーが、チームにシーズン最高の結果をもたらしたことになる。そして3位に入ったのは、彼がまだ少年だったころから張り合ってきた男だった。
速い。ただし扱いにくい。オコンの名前が出るとき、この二つの評価はたいていセットでついてくる。彼の経歴をたどると、それがゴシップではなく構造の問題であることが見えてくる。
家を売って、キャンピングカーで
エステバン・オコンは1996年、フランス北西部ノルマンディーのエヴルーに生まれた。父ロランは家を売り、家族はキャンピングカーでの生活を選んだ。カートの遠征費、タイヤ代、エンジン代。息子のレースを続けさせるためには、それくらいしか方法がなかった。この話は本人が何度も公の場で語ってきたもので、彼の走り方を説明するとき、多くの人がまずここから始める。
速く走らなければならない、という感覚は、たぶんこの時期に体に染みついた。カートからフォーミュラに上がる過程でも、彼は常に「次に負けたら終わり」という場所に立っていた。2014年にF3欧州選手権を制し、2015年にはGP3でもタイトルを取る。メルセデスの育成プログラムに入り、2016年はDTMを走りながら、シーズン途中でマノーのシートを得てF1にデビューした。
走れなかった一年
2017年からはフォース・インディアで2年間走る。速さは本物だった。ただ、そこで起きたのがチームメイトのセルジオ・ペレスとの度重なる接触である。バクー、スパ。同じチームの2台がぶつかるたびに、オコンの名前は「戦闘的」ではなく「厄介」という言葉と並ぶようになっていく。
2018年、チームは経営破綻し、買収されて体制が変わった。新しいオーナーの息子がシートを得ることになり、オコンは2019年、1戦も走っていない。メルセデスのリザーブとして、シミュレーターの中にいた。22歳で、F1から見えなくなる。この一年が、彼のその後の評価を決めた部分は小さくない。
勝った日と、ぶつかった日
2020年、ルノーで復帰する。サクヒールでの2位が初の表彰台だった。そして2021年、チームがアルピーヌと名を変えた年に、彼はハンガリーGPを勝つ。赤旗再開後の混乱のなかで首位に立ち、ベッテルの追撃を抑え切った。キャリアで唯一の勝利だが、あの日の走りに運だけを数える人は少ない。
翌年のチームメイトはフェルナンド・アロンソだった。ふたりはインテルラゴスのスプリントで接触し、関係は冷えた。ただ、その年のポイントではオコンがアロンソを上回っている。速さは数字に残り、摩擦は記憶に残る。F1では後者のほうが長く語られる。
それでも彼を雇う理由
2023年、アルピーヌはオコンとガスリーというフランス人どうしの布陣を組んだ。同じノルマンディー出身、カート時代からのライバル。マーケティングとしては最高で、チーム運営としては頭の痛い組み合わせだった。それでも2024年、オコンはモナコで3位、雨のインテルラゴスで2位に入っている。結果を出したうえで、契約は更新されなかった。
2025年、彼はハースへ移った。オリバー・ベアマンという一回り若いチームメイトと、また一から関係を築く立場になる。F1マシンの最低重量をめぐる議論では、大柄なドライバーが不利になりやすい。オコンはその代表例として名前が挙がることも多い。それでもチームが彼を欲しがり続けるのは、理由がはっきりしているからだ。テレメトリーを見れば、彼が毎周限界まで踏んでいることが分かる。「扱いにくい」というコストを払ってでも欲しくなる速さが、そこにある。
ただし、それが安泰を意味しないことは、彼自身が誰よりもよく知っている。速さだけではシートは守れない。2019年に身をもって学んだはずのその事実を、2024年にもう一度突きつけられた。
それでも彼はグリッドに戻ってくる。派手な復活劇ではない。静かに契約を取り、静かに走り、誰かが忘れたころに結果を置いていく。雨のインテルラゴスで2位に入ったあの午後のように。